恋愛にリバイバルはない! なんてことを痛感。
たぶんおそらく、今感じている感情はもう二度とないのです。 もう一度、アゲイン!、などというのは希望にしか過ぎないのだなということがわかりました。 失ったものは、結局取り戻すことはできません。 なぜなら、みんな、その後も生きているからです。 取り戻すというのは、単に過去に戻るということ、しかしそれは決してできません。 過去の出会いは二度とない、今日の出会いを確実につかむのだ、そんなことしか 生きてゆく希望にはならないようです。 |
私とは何か?
と言われれば、「未練と執着の人」としか自分でも言うしかないでしょう。 とにかく私は、必要とも思えないものにでも執着する。 他人から見れば、明らかにゴミであり、同意を得ずに捨ててもかまわないであろう物でも、ひとたび自分以外の人間によってそれが捨てられると、異常なくらいに執着心が沸きます。 何としても、もう一度みたい。自分で捨てるという行為をする決意を持ちたい。 そう思うのです。 ですから、他人によって、自分がまだ決別の意識を持っていないものを捨てられるのは、殺意にも似た怒りを覚えるのです。 ゆえに、誰とも暮らすことも、結婚することも出来ないのでしょう。 それでも、若いころから見ればかなり寛容にはなりました。 たぶん潔癖症と同様に、かなりゆるくはなってきました。 とはいえ、常人と比べればかなり異常なくらいの執着心でしょうね。 自分の考えでは、たぶん、時間が必要なのだと思います。 普通の人が1分で忘れることが出来ることを、私は、ただ3年くらい忘れられないということなのだと思います。 100均で買ったピーラーがありました。 たいそう使い心地が良く、愛用していました。 壊れたときのために、予備のものを買おうと思いましたが、もうどこにも同じものは売っていませんでした。 仕方なく、一番良く似たピーラーを予備として買いました。 ついに愛用のピーラーが壊れました。 予備のもの使います。 しかし、しかし、どうしても、壊れてしまったピーラーのようになじみません。 あのピーラーががほしい! と、3年ほど思い続けていました。 そして3年目に、やっと、その執着心も薄れ、というか、元のピーラーの感触を忘れてしまいました。 何事につけ、こんな感じです。 人間に対しても同じなのです。 私は、愛する人かそうでないか、の、二者択一でしか人間を感じません。 異常ですよね... 愛していない人間は、何度あっても名前も覚えられません。というか、覚える気がないのでしょう。 でも、愛して人間だけは、何があろうと執着します。 別れても3年は毎日夢見るくらいです。 私の執着と未練が、全てほどけて、真の自由になるには死ぬしかないかもしれません。 |
若いときには、好きになったら結婚したいと思いました。
それを過ぎると、結婚生活での適応性というか、社会的な見た目とか評判とかを考えるようになります。 またそれを過ぎると、本当に愛があるのかどうか、愛とはいったい何なのかということを考えます。 つまり、自分の生活が安定というか、固定化というか、慣れてくると、その空間に他人が入り込んで満足できるのかという気持ちになります。 過去10年間で、自分が好きになった人は何人いるのか? 5人以上はいます。 すると、結婚してからも、10年のうちには好きになる人が何人か出現することは自明です。 長く生きると、過去の経験が重きを置きます。 結婚しても、経験からいえば、さらに好きになる人間は出てくる!! それを考えると、結婚というものは大変大きな決断になります。 未来の自分を含めて、トータルで満足するものでなければ決断できなくなります。 難しいですね。 |
誰かと一緒にいたいと思うのは、誰かと同じ思いを共有したいということなのでしょう。
自分の好きな音楽を車で流して、隣にいる彼女が、「いい曲ね、趣味が合うわ」と言われたら、本当にうれしいことです。 「うるさいから、ラジオに変えて」なんて言われたら、本当にがっかりしますものね。 自分がおいしいと思う料理を一緒に食べて、「本当に美味しいわ、また一緒に来ようね」、と言われたら至極の歓喜です。 「私これ嫌い、別の店に行きましょう」、なんて言われたら意気消沈。 好きになると、相手の趣味を理解して、相手の好きなものが好きになると言うこともありますが、そうなる前に、合わない点が多いと、その先にも進めません。 好意、理解、許容、同意、同感、共有.... 結び合うには、いろいろなものを超えなければなりませんね。 |
何をもって人は人を愛するのか?
要素があまりに多く分析不能という点で、やはり愛は謎なのかもしれない。 話し方、話す内容、声の調子、匂い、動作、眼の動き、場所、雰囲気、ムード、手の動き、指の動き、腰の動き、目線、誰かの邪魔する声、瞬き、あらゆるものがすべて一点に集中した瞬間、愛が生まれる。 憎しみや嫌悪ならば、原因は容易に推定できて、克服も容易。 だが、愛だけは、原因不明の原発性の痛みにも似た、強烈で逃れようも無い現実を認識させてくれる。 ゆえに、めったに愛にめぐり合うことは無いが、巡り合ったが最後、真の苦悩と向き合うことになるのだろう。 |
私は人一倍、言葉に敏感なほうです。
相手が意識的でもなく、悪気があるわけでもない一言にひどく敏感に反応してしまいます。 反射的に私は攻撃態勢になります。 それが今までの人間関係の失敗のすべてのような気もします。 それを克服しようと、自分が傷つきそうなことは自分から話して、道化を演じます。 自虐趣味の面白い人とか思われます。 でも、長く付き合う(恋人ではなく、同僚とかお店の女の子とか)と、だんだん解ってくれるんですよね。 私が面白おかしく話していることの中から、私の苦しみを察して本当に心配してくれたりするのです。 それは、私が相手に攻撃をすることしないで、相手を許しているからだと思います。 攻撃すれば敵になるだけで、二度会う事もなくなるであろう人が、自分から攻撃しないということだけで、自分を助けて心配してくれる人になるのです。 ネットの世界では、文章の中のほんの一言を取り上げて、徹底的に攻撃して喧嘩する人が大勢いますが、相手が目の前にいるのだ、自分が攻撃すれば自分も攻撃を受けるのだ、ということを認識すれば、もっとおおらかに楽しいコミュニケーションができるのではないかなと思います。 (画像は無関係) ![]() |
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